積極的無関心『ふーんマインド』のススメ

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健康

最近、新型コロナウイルスの流行が著しく、

それにより生じた様々な争いが目に付くようになった。

コロナ離婚、職業差別、人種差別、会社への不満、家族への不満、

政治家やメディアへの誹謗中傷など、など・・・。

今回は、これらの争いに触れて考えたことや、オリジナルで生み出した

ライフハックについて話していきたい。

蓄積する悪感情

新型コロナウイルスが夏までに本当に収束するような感染力の弱い病で、

日本全体に及んでいる自粛もGW明けには解かれるのだとしたら、

これらの争いは僕たちの人生にとっては刹那、一過性のものであり、

精神にさほど深い傷跡を残しはしないはずだ。

しかし僕は、感染症との闘いは長く厳しいものになると予想している。

(100年前のスペイン風邪は終息までに3年かかっているというし、

 中東で最近発生したMERSはまだまだ終息宣言が出ていない現状を鑑みると・・・)

そうなると、争いによる影響は無視できなくなる。

単純な感染への恐怖に加え、争いに触れる事で起こる悪感情の蓄積は、

きっと精神の健全な在り方を阻害する。

僕はこれからしばらくの間続くであろうこの状況において、

『積極的無関心』の状態でいることを勧めたい。

SNS上に延長される感情受容体と、不要不急の感情

字面ではかなり矛盾した内容ではある。どういうことだろうか。

現代社会では、SNSの発達により、不特定多数の他者の感情に容易に触れられる。

プラスなものだけでなく、上述したようなマイナスなものも勿論だ。

良くも悪くも人間は自らの感覚を道具の先にまで伸ばせる能力が高い。

慣れれば自転車を足のごとく、フライパンを腕のごとく操れるように。

それはSNSという無形の存在でも同様に、しかし悪い方向に働き、

マイナスな感情をあたかも自分の物であるかのように錯覚する事がままある。

夫への愚痴をこぼすどこかの家庭の書き込みを見て、

見知らぬ夫への怒りを感じたことはないだろうか?

人種差別の意識丸出しのツイートを見た後、外国人を見かけた時に、

同じような考えを持ってしまった経験は?

フェミニズムに関わる論争で、どちらかの陣営につい肩入れし、

もう一方の陣営の粗探しに時間を浪費したりしなかったか?

いずれの場合も、マイナス感情の主体はもともとあなたと直接関わってはいない

人であることがほとんどだ。そして、客体ももちろんそうである。

では果たしてその怒りや悲しみは、

自分の行動や環境から想起され、自分に必要なもので、

自分の立場にフィットするものか?

そうではないはずだ。

今、自分が生活している範囲内に存在しないのであれば、

これらは不急かつ不要な感情と言えるのではないか。

まるで精神を摩耗させる地雷のようである。

積極的無関心、「ふーんマインド」とは

これを踏まえて僕が提唱する積極的無関心とは、

「怒りや悲しみなど強い感情で綴られた文章を見た時は、

 バックボーンなどの想像をせず、意識的に意見を文字通り解釈するにとどめる」

ライフハックである。口語体で言えば、

「自分の日常生活外で起きたことに関しては『ふーんこういうことがあったのか』

 ぐらいに思っておいて積極的にスルーする姿勢を取れ」

ということである。「ふーんマインド」とでも言っておこうか。

この「ふーんマインド」により、

不要不急の感情への露出を極力減らし、

同時に、感情の余計な動きを少なくして健全な精神状態を担保する

ことが可能になる。

もちろん、自分の生活に影響がある出来事に関しては感情が動き、

感情に基づいて行動するのが自然だ。これは影響を少なくするためである。

しかし「自分の属さぬコミュニティで起こったこと」については、

そもそも影響はなく、行動の必要性がない。したがって感情を持つ必要がない。

むしろ行動による発散が出来ない感情は、

確実にストレスのもととなり、諸症状を引き起こす可能性だってある。

つまりそもそもそんなことに感情を持たないのが正解なのである。

そういったことからも、「ふーんマインド」は妥当性があると考える。

先が読めないから、メンタルは大事にしなきゃ

新型コロナウイルスは現状の致死率はそれほど高いわけではないが、

感染力の強さや免疫獲得の有無、再度陽性転化などのメカニズムや後遺症・・・

など、現時点ではあまりに不明なことが多い。

また、ワクチンの開発により収束させるのが現実的な手段として

考えられているが、それがいつになるかはもはや研究中の科学者たちしか

見立てられない。(もしかしたら彼らも無理かもしれない)

この状況下の日本では、自粛をより長い間強制されることになり、

メンタルへのダメージはどんどんと蓄積されていくことだろう。

コロナウイルスにかからなくても精神が病んでしまうのは本末転倒である。

したがって、やられずにできるだけ長い間闘えるよう、

これを読んだ皆様には上述した「ふーんマインド」を持ち続けていただき、

流行の収束後にまた相見えることを願うばかりである。

では。

pershey

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