ゲームの面白さは何に依存するのか

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ゲーム

皆さんこんにちは。persheyです。

確かあれは2年前の11月のこと。自腹をはたいてNintendo Swtich を買った。

当時はあまりゲームを熱心にやる気が無かったので、同時購入したソフトは2本。

OCTPATH TRAVELER」と「スーパーマリオパーティ」だ。

ドットで織り成す正統派RPG
あのマリオパーティがボリューム大増量でSwitchに登場

そして、購入してから約1年半が過ぎた今。なんと2つとも全クリアしていないし、

なんなら中盤~終盤の状態で放置している。

その一方で、新たにダウンロード購入したソフトが2本ある。

リマスター版ロマサガ2」「スーパーファミコン Nintendo Switch Online

(要はSFCの人気ソフト集)である。

ロマサガ2は目下攻略中でそろそろラスボス。

SFCソフト集の方はロマサガ2に飽きたときにやる。

・・・皆さんもすでに突っ込んでいるだろうが、

だったらスーパーファミコン買えば?って話だ。

なぜ最新のゲームハードを買っておいて、昔のゲームをやるのか。

何を求めてゲームをしているか、ということにスポットを当てて考えてみた。

SwitchとSFCの容量差は4桁(!)オーダー

そもそも、スーファミのゲームは往々にして総容量が小さい。

(のでSFCソフトコレクションがSwitchで販売できる)

ハードスペックが低く、一つのカセットにかなり限られたデータしか入らない。

1ゲーム当たりの容量は大きくても約6MB

一方、Switchのゲームの中でも特に大ボリュームな大乱闘スマッシュブラザーズ

例にとれば、なんと約15.7GBである。その差はなんと2600倍だ。

ここまで違うと、流石にプレイ時の面白さにもそれなりの差が出てきそうだ。

だがしかし、それは4桁オーダーの違い足りえるだろうか?というのも

一つ疑問である。これがある程度はスーファミのソフトを遊ぶ方に

気持ちを傾けているのかもしれない。

だが2倍とか3倍面白いって何やねん、って感じはするし、

より面白そうな方をやればいいじゃん、というのは至極当然の意見だ。

制限があるが故のクリエイティビティが発揮されてるから?

現在のハードが画像1枚で済ますような容量の中にそれなりに長期間遊べるものを

構築しなければいけないのだから、当然そこには様々な創意工夫がなされる。

言ってみればカードゲームの限定構築戦のようなもので、

色んなアイディアのゲームが生まれている。

自機そのものがボールとなってゴルフをするカービィボウル

超絶死に覚えゲーの超魔界村(これはFCやメガドラ時代からあるので厳密には異なる)

多くの隠し要素やショートカット、乗り物の概念を備えたスーパーマリオワールド

スピンオフ作品の走りであるヨッシーアイランド

技はレベルを上げて覚えるのではなく閃くロマサガシリーズ。

なるほど、オリジナリティを楽しんでいるという考え方に立てば、

昔ながらのゲームを楽しむ理由になるかもしれない。

だが、別に太古のハードのものをやる必要はなさそうだ。

特に死にゲーは近年流行っていてSwitchでもDARK SOULSなんかが出ている。

上記のシリーズの流れを継ぐものさえあれば最新ハードの方が質・量ともに、

十分に満足出来るものが出来るはずだ。これだけが理由ではあるまい。

スーファミと共に幼少期を過ごす自分

そもそも思い返してみると、スーファミが発売されたのは1990年のこと。

ちょうど僕が生まれたころである。そこから次々と良作タイトルが発表され、

1994~1996年ごろにかけて、国内のゲーム販売市場をなかば掌握する。

僕が物心ついたときにはすでにスーファミが家にあって、

クリスマスや誕生日の機会には人気のソフトをねだって買ってもらったものだ。

つまるところ、僕はスーファミと共に幼少期の成長を重ねたのである。

(1996年にN64が発売されてからはそちらのソフトもやりこんだものだが、スーファミの

ソフトも長いことやっていたものだ)

そして、Switchのスーファミソフトコレクションも当時プレイしたものが非常に多い。

であれば、僕がスーファミソフトに求めたのはクリエイティビティの追求ではなく、

ノスタルジーとしての機能なのではないか。

「ここの敵こんな風に倒したわー」とか、

「こいつ初見じゃ絶対倒しちゃうよな」(実は仲間になる)とか、

思い出に価値を見出しているのではないだろうか。

となると、ゲームの魅力というのはシステムの独創性やボリューム、美麗な画像だけで

なく、プレイするときの環境や周囲との関係性、それからプレイ時の思い出

が大きくかかわってくるのだろう。

そう考えれば、スーファミゲームを好んで遊ぶことも合点がいく。

これからゲームをやる未来の子供たちに対して

無論、今はまだ赤ん坊なのでゲームをやるなんてできないわが子でも、

数年経てば自然とやりたい欲が出てくるはずだ。

そうなったときに、勉強や習い事に差し支えが出るという理由で禁止・制限する

親も多いと聞く。

僕的にはそれだけは避けたいところだ。

いくら機能が上がっていっても、ゲームそのものに対する思い出が無くては、

大人になってその体験をしたときにきっと空虚なものになってしまう。

それはあまりに勿体ないので、制限などせず、やりたいものはばんばんやらせる、

そういう立場でいたいと思う。

・・・その前に、積んでいるゲームを消化してからでないと、

ノスタルジック老人としての誹りを免れないだろうな。まずはクリアだ。

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